信州人!

信州人 小林一茶 俳諧師
時代は幕末の文化.文政(1804より1830年)
本名 弥太郎は三歳のときに実母と死別、8歳の時に継母が入籍。
14歳の時に祖母が亡くなる。この翌年の15歳のときに、父は彼を江戸へ奉公に送り出す。
15歳の少年が、テクテク歩いて一人旅とは。江戸まで200キロ近い道程。
夜は野宿か、街道添えのお寺さんか。飯はどうしたのか。
江戸の生活は奉公先の「他人のメシ」の難儀な生活。
人との出会いは句会への出入りから。ここから俳諧師の道が始まる。
三十歳にして、近畿、四国、長崎へ、漂泊の旅を決行。
江戸時代は俳句,連歌などの知的な愛好家が隆盛。
たとえば、今でいうと人気歌手の地方ツアー。一茶を慕う弟子たちの句会を頼りに、
彼は俳句指導の商人として、その稼ぎで身を立てる。一茶の作品の多くは庶民の生活描写。彼の目線は最低辺から、貧しき者へのまなざしは優しい。ここが信州人。江戸の町は多くの人が動く華やかな文化社会。彼は、そんな社交界から離れ、ひとり、わが道を歩む。そういえば、韓国社会は大志社会。若者達は各界のトップを目指す。そして、アメリカの若者はアメリカンドリームの成功物語を称える。でも、我が日本の村財政は貧しかった。農民は高い租税に苦しみ、藩への不満から、あっちこっちで一揆が勃発。そんな貧しい社会でも、庶民は、長屋住まいの助け合い精神で、スガスガシイ。
少年期の弥太郎は継母との葛藤で、彼の心は悶々のタタかい。
我ときて遊べや親のないすずめ
名月を取ってくれろと泣く子かな

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