漂泊老人!

明治末生まれの母は浄土宗の門徒ではないが、阿弥陀様のお導きで天竺に行かれたのではないだろうか。この時代の日本人は、おそらく浄土信仰が多い。敗戦直後、生れの私は戦前教育とは打って変わり、民主化授業。学校側も生徒も、この変節に戸惑い、何を信頼して生きたらいいのか定まらない空白。私淑する曽野綾子作家は死後の人間はゴミだと仰っていたが、なんか、それだけでは夢がないような。私は日常、もっと「お金が」あったなら、自宅を新しく立て替えたいなーと絵空事。ゴルフ三昧の金持たちは、いつだって健康的で背筋が伸びる。それから又、麻雀愛好者たちは、ほんとに楽しそう。でも、私は、とても長時間のゲームに耐えられない。という、言い訳で、私は家事を楽しむ。食後の食器洗いは私の性分に適し、この時間は無念無想。それから、いちばんの楽しみは三度の食事。そして、何を食べても美味しいから、「あー、おいしかった」と唱える。あ、そーだ、母の口ぐせを思い出す。それは「今日教」の信奉。今日一日、精一杯生きるという観念。少年時代の私は、この言葉が気に入る。こんな私でも結婚することができた。私にとっては、妻は慈母観音さま。「かーちゃん、大好きだよー」!

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